死にそうな人
私が若いころの話です。慣れない農作業で疲れ果(嫁は手間だと言われていました)子供達の父親は出奔し その婚家で子供を連れての生活は目も当てられないものでした、親戚 総出の追い出しの言葉の日々でした、子供が可愛いから宜しくとお願いしたら犬や猫でも子供わ可愛いんだと言われましたが、何とか子供二人と一緒にと頑張ったのですが。精神的にも体力的にも疲れ果てて 歩くこともまま成らぬ状態で、入院 痩せ細り尾てい骨が突出て椅子に座ると飛び上がる程で 骸骨その者でした。病室で横に成っているだけで。箸も持てない状態でしたほとんど食べることは出来ません。今の医療と違い点滴とかあまり無かったのかも?看護婦さんがおトイレのときは言ってね、採ってあげるからと言われても出ないんです、大部屋では恥ずかしいので やっとの思いで歩いてトイレに入って(昔しのしゃがむトイレ)立ち上がれないので暫くしゃがんでいました。看護婦さんが探しにこられた事もあり あの時よく生きられたなと今でも思います。新しい患者さんが入院すると 私のことを亡くなる人だと話していたそうです。死なんてひとつも怖いと思っていませんでした 何もかも無の感じでした 子供のことも世間のことも死なんてことも 何にもかも考えませんでした 本当にあれが 無 の心境だなと今思います 何でこんなに長生きしたんだろう、不思議でなりません。お風呂も半年ぐらいは駄目でした、私の担当は女医さんで色々と気配りをしていただきました。先生も原爆症を持っておられると言う話でした 汚れては死なないから無理してはいけませんよと優しく接して貰いました、私の生活状態をご存知だったんでしょうね 村中有名でしたからね。病院を替わられても 私を看に来て下さいました。退院近い時病院の誰も居ない外来の廊下で息子におじいちゃんの所には帰られないからと説明しました。息子もおじいちゃんの所にはお母さんは居られないと泣いてました。(誰も居ないと思っていたんですが女医さんが聞いておられたのか?退院しなくても?)
子供達にも苦労を掛けたけど
死にそうな人 そんな状態なので婚家には戻れません、東京の兄を頼って上京暫くは働けませんので随分苦労を掛けました。その所為かな?元気なはずの兄が59歳で突然死、妹も54歳亡くなり 一番早く死にそうな人の私が この歳まで生きるなんて夢にも思って居ませんでした。不思議でなりません。その時置いてきた倅達が迎えに来てくれと騒ぎ 兄の反対を押し切って迎えに行き 現在に成ると 愚息共二人揃って恨んでるとかなんとか勝手なことを申し、 普通では考えられない言葉を浴びせかけられ、情けない限りである。あんたなんか看ないよと申します。何もしない内から 怒りを通り越し涙も出ない表現出来ない気持ちで一杯です。兄に内緒で経理の勉強をし少しでも収入が良くないと生活出来ないと子供達を引取れないと、心の準備をしていました、昔名主様か何かの話に馬鹿を出せと言われた民の人が親を連れてきたと言った話があるそうだけど本当に自分は馬鹿な親だと今つくづく思います。
そうだ死にそうな人と言われた時の気持ちに成れば好いんだ無 私の生涯で只一度
の貴重な経験です 本当に無に慣れたら楽かな 不思議な 無 無 無
昔の無の気持ちに成りたい 無 (^0_0^)
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